今 週 の レ シ ピ |
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◇師走。お酒を飲む機会が多くなりますが、おうちで飲むときには是非これと…。●セロリの和(あ)えのもの二種
和風 中国風 [材料]
◎和風 ・セロリ 100g 漬け汁 醤油(しょうゆ) 大さじ2 みりん 大さじ1 うまみ調味料 少々 七味唐辛子 少々 ◎中国風 ・セロリ 100g 漬け汁 酢 大さじ1 醤油 小さじ1 胡麻油(ごまあぶら) 小さじ1 砂糖 小さじ1 豆板醤(とうばんじゃん) 小さじ1/2 塩 少々 うまみ調味料 少々
[作り方]
- セロリは和風、中国風ともスジをとり、5〜6a長さの細切りにする。
- A、Bの漬け汁を用意する。
- 熱湯で1のセロリをサッとゆがき、2に漬ける。
- 10〜15分位で、汁気を切って盛り付ける。
ポイントはここ
- セロリのスジは、上のほうからはがすように取ってください。
- セロリの長さは5〜6a、6〜7_の棒状に切ります。あまり薄く切ってしまうと、歯ごたえがなくなります。
- 熱湯でサッとゆがいたセロリは、熱いうちに漬け汁に入れます。かならず、漬け汁を用意してからゆがいてください。
- 漬けておく時間は、好みでどうぞ。ただし、すくなくとも10〜15分はおいてください。
ちょっと一言
- セロリの葉は、みなさんどうしていますか? 中心の葉はやわらかいので、茎といっしょにサラダで食べられます。また、衣をつけて、天ぷらもおいしいです。
わが家では、佃煮風に煮て食べます。まず、茎からとった葉を熱湯に入れ、2〜3分ゆがき、冷水にとり、半日位水にさらしておきます。水気をしぼって2a位の長さにサクサクと切ります。鍋に入れ、出汁(だし)でゆっくりとやわらかく煮て、醤油・酒で薄味をつけます。日本酒の肴にピッタリです。私の父の大好物でした。【野口料理学園】
塩 ひ と つ ま み |
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■共生里山が注目されています。緑のすくない都会に住む人々が、山や川に囲まれた自然豊かな環境にあこがれるのは至極もっともなことです。自然といっても、人跡未踏な、あるいは人を寄せつけない厳しいだけの環境ではあまり魅力を感じないでしょう。数はすくないけれど人間が暮らしている、たとえば農業や牧畜など自然と密着した生産活動がおこなわれている地域です。
山であって里でもある場所、言ってみれば人間と自然とが共生している空間です。とうぜんそこには植物だけでなく、鳥や昆虫の小動物のほかにサルやシカ、イノシシ、クマなどといった時として人間と衝突することのある生き物も住んでいて、それらとの共存を意味します。
山梨県の北部に長坂町という町があります。国蝶オオムラサキの日本一の生育地です。町ぐるみで、オオムラサキが育つ自然環境を保護・保全しようとしています。活動の中心となっているのが、長坂町オオムラサキセンターです。
ここでは活動内容を紹介する展示館の建物のほかに、周囲の雑木林と丘陵地を利用して植物、虫、鳥などの生育と観察を続けています。四季を通じてさまざまなイベントが催され、大人も子供もいっしょに体験できるようになっています。館側の努力と人々の環境への関心の高まりとが相まって、この種の文化施設としては珍しいほど入館者が増えつづけ、秘訣を教えてほしいと全国から関係者の見学が引きも切らないそうです。
季節が移ろうなかで、生き物の営みと関わり合う里山の風景は、私たちの心をなごませてくれます。とりわけ子どもたちには、やさしさと思いやりの拠り所となる原風景としてインプットさせたい。そんな思いをだれもが持っています。それが大人になっても、いいえ、終生持ちつづけていてくれたら、争いや環境破壊にすこしはブレーキがかかるかもしれないからです。
小中学校に、ビオトープの施設をつくるところが随分増えました。これなど、身近に里山をもってくるようなものですよね。で、あればデス。おなじように、子どもたちの心の中にもビオトープをつくっていただきたいのです。音楽教育における童謡・唱歌の復活です。
「ふるさと」や「赤とんぼ」や「荒城の月」(Wordで打っても出ませんでした)などです。私たちの世代にはお馴染みです。これらを口ずさむと、瞬時にして里山で遊んだ往時にタイムスリップする仕掛けになっています。いまの子どもたちにこんな装置はありません。
歌詞やメロディーが時代にそぐわない、かけ離れていると文部省(当時)が外したのかどうか。それは分かりませんが、すくなとも無用な物で必要なしと解釈したのでしょう。それがいま、テレビのCMやドラマ、音楽番組のなかなどで唄われて若い人の間に人気を博しているといいます。
日本の童謡・唱歌は、賛美歌の影響があると指摘されます。そうかもしれません。元を手繰れば、お母さんが赤ん坊にアカペラで唄った子守唄のぬくもりや懐かしさに行きつく気がします。いずれにしても人間の自然への回帰は、本能である五感を通してなされるのが成り行きというものでしょう。
と、くればデス。我田引水の観はまぬがれませんが、味覚を落としてほしくありません。「食」における自然回帰とはなんでしょう。いくつか考えられます。たとえば、必要以上のものをとらない、つくらない、食べないということ。それは地産地消であったり、加工食品にたよりすぎないとか、過食拒食におちいらないなどです。そしてそこに里山に似た感覚をもとめるとしたら、自分の手で料理するということではないでしょうか。ぬくもり・やさしさを込めることができるからです。
なにがなんでも料理しなさいというつもりはありません。こちらのほうも、時間的経済的な現実と折り合いをつけ、自分の料理の腕と上手に共生(?)しながら考えてみてはいかがでしょうか。
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