今 週 の レ シ ピ |
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・専攻科(4月)のメニューより●エビの蓑(みの)揚げ 112kcal. 塩分0.6g
[材料] -4人分-
・エビ 8尾 ◎A 塩 少々 酒 小さじ1 ・卵 1/2個 ・ポテト 中1個 片栗粉 適宜 ・揚げ油 ◎付け合わせ グリーンアスパラ 4本 レモン ◎天汁(てんつゆ) 出汁(だし) 1/4カップ 醤油(しょうゆ) 小さじ2 みりん 小さじ1
[作り方]
- エビは背綿をとり、尾をのこして殻(から)をむき、腹のほうに包丁を入れ、Aで下味をつける。
- ポテトは皮をむき、2_角のせん切りにし、冷水でさらし、水気を切って、片栗粉をまぶす。
- エビに溶(と)き卵をつけ、ポテトをつけ、180℃の油で揚げる。
- グリーンアスパラは7〜8a長さで切り、素揚(すあ)げにする。
- 皿に3と4、くし型に切ったレモンを盛り、天汁(てんつゆ)を添える。
ポイントはここ
- エビは、無頭で6〜7a長さのもの(「ブラックタイガー」がよく売られています)を用意してください。腹のほうに3〜4ヶ所包丁を入れますと、曲がらずに揚がります。
- ポテトは、2_角くらいにそろえて切ることが大切です。そろっていないと、油で揚げたとき、火の通りがちがいますので、均一の色や味わいになりません。
- ポテトは冷水を3〜4回かえてよくさらし、しっかり水気を切り、片栗粉を均一にまぶします。
- エビに溶き卵をつけ、用意したポテトをエビのまわりに並べるようにつけてから、手で握ってしっかりつけます。
水にさらす 片栗粉をまぶす 手でしっかり握る
- 油は180℃くらいの高めに用意し、ポテトをカリッと揚げます。
- グリーンアスパラは長さ7〜8aに切り、なにもつけずに油で揚げます。(「素揚げ」といいます)
- 天汁(てんつゆ)は出汁(だし)に調味料を加え、火にかけ、煮立ててから冷まします。
ちょっと一言 ≪組み合わせメニュー≫
- 「蓑(みの)揚げ」の「蓑」はカヤ、スゲなどを編んで作った昔の雨具のこと。エビが「蓑」を着ているような揚げ物です。
- 添えの揚げ物として、ほかに獅子唐(ししとう)、さやいんげんもよいでしょう。
- 天汁(てんつゆ)のかわりに、「塩」を軽く振って食べてもポテトとよく合います。
◎かき玉汁(吸い口は木の芽)
◎若竹煮
◎ワカメとキノコのおろし和(あ)え
◎えんどう御飯(ごはん)
【野口料理学園】
塩 ひ と つ ま み |
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■戦い済んで田舎にいる両親を見舞った。姉夫婦の下で余生を送っている。行かなければと思いながら2年が経過してしまった。週に1度の電話は欠かさなかったが、聞くと見るとでは大違い。声からは想像できない老いが、一段と深まっていた。
母親は92歳。2年前、股関節を手術し歩くのもおぼつかなかった。それが見事に回復をはたし、立ち居振舞いは人の手を煩わせることがなくなった。90歳での骨折だったから、ふたたび自立歩行ができるとは思わなかった。おどろきである。
だが、それと引き換えのように知力が後退した。マダラだった痴呆の症状が「面」から「点」、それも「点灯」ではなく「点滅」状態、しかも押しても点かない場合がほとんどだ。現状の認識力はないに等しい。高校生の娘を連れていっているのに、その娘を前に、「嫁をもらわねば(私が)」と案じてみせる。母親の頭の中にある息子は、ときに幼児であり小学生であり、二十歳すぎの青年だったりと縦横無尽に変化(へんげ)する。
実の子がこんな調子だから、孫や曾孫はいくら説明しても理解の外である。私の訪問の前に、姉の娘が神奈川のほうから手伝いにきていたが、他人行儀に終始され、ショックを受けて帰っていった。直接介護している姉にさえ、ときどき「どちらさまですか?」と尋ねるくらいである。
母の健康は、首から下に限られる(要介護3)。考えて動作ができないということだ。服を着るにも男女、自他の区別なく、上下前後も順不同で幼児の行動パターンそのものである。おしめが取れるかどうかの年齢に近い。だから、尿意を訴えて自分でトイレにいくことがあれば、もらしてしまうこともある。身体が動くからといって、目は離せないのである。むしろ幼児の場合同様、身体が動くから余計目が離せなくなる。
母の行動で、唯一安心していられるのものがある。食事時である。服の着脱もまともにできないのに、このときだけは手助け無用となる。丁寧に、ゆっくりと、上手に、残さず平らげる。この一心不乱の食事が健康回復の素となった、と姉は見ている。
そんな母の様子に一喜一憂していた父の方が一変していた。半年前(要介護1だった)、軽い脳梗塞を起こして倒れたのだ。まもなく96歳になる。これといった病気を患うことなく、好きな本を読み、テレビの時代劇や相撲をたのしみ、日に一回の散歩を怠ることがなかったが、さすがに寄る年波には抗しきれなかったようだ。血圧が上がり、薬をのんでも200を下らないようになった。
父と高血圧とは結びつかない。若い時分から低血圧に悩まされていた。高くても90に達しないときがあって、医者から酒を飲むように勧められていたほどだ。今になって高血圧に苦しむとは皮肉である。それでも、「理想的に老いている」とは担当医の弁だ。
歩くことができなくなった。日がな一日、座っているか横になっているか。緩慢な動作は、例えは悪いが、ナマケモノを連想させる。移動するのはトイレの往復だけ。これがたいへんな作業なのである。71歳と66歳の姉夫婦では、抱きかかえることはできない。トイレの前まで這(は)って行く。
まずソファーから下りるまでが一苦労。ナマケモノの動きを思い描いてもらいたい。四つん這いになって、歩きを開始するまでがまた時間がかかる。休み休み這って廊下まで出るが、途中で何度もうずくまる。バリアフリーで部屋の敷居は取ってある。トイレの入口に達してはじめて立ち上がる。ここからが核心部である。取っ手をつかんで立ち上がる。これが難儀だ。自力では起き上がれない。姉や義兄の助けを借りる。本人もそうだが、支える側も渾身の力を振り絞る。
「右手でこれをつかんで!」「左足をずらして!」
毎回おなじ動作なのに、そのたびにおなじことばをくりかえす。しぜん、声がおおきくなる。転んだら、もろともだ。真剣勝負である。
「痛い。止めろ!」
怒ることのない親父が怒りだす。それほどきついのだ。取っ手を伝って、方向転換しながら中に入る。便器を跨(また)ぐのにまた向きを変える。苦労してやっと目的地についたときには、排尿は終わっている(父も紙おむつをしている)。
おなじ行程をおなじだけ時間をかけて部屋までもどる。またもや荒げる声がとびかう。しかし、この「五体投地」のトイレ詣でを止めるわけにはいかない。止めたら最後、完全に寝たきりになってしまう。「そうはさせたくない。私が倒れるまでは頑張る」と姉は言い張る。
横になっている父に「痛いところはないか」と聞いた。「なーい」という答え。「大丈夫?」と再び聞く。力のない声で「げーんきげんき、カラげんき」。そして、つぎのように続けた。
「自分がなんでこうしているのか、自分でもわからない」
のんびり屋の父でさえもどかしく感じるのだろう。ボーッとした頭と、随意にならない身体のどこかに、それを見据えているもう一人の親父がいるようである。
父も食事はたのしみのようだ。おぼつかない箸(はし)使い、こぼしながらも時間をかけてゆっくりと最後まで残さないのは母とおなじ。身体を動かさないので、太らないよう野菜中心の消化のいいものを食べるように気をつけていると姉は話す。
夜の9時。格闘のような一日が終わろうとしていた。いつものように、感謝の祈りとともに二人はしずかに就寝した。
私はとうの昔に断ち切っているが、クリスチャン同士で結婚した父と母、おなじように結ばれた姉達、二組の夫婦・4者の間をとりもつ「信仰」の糸が見えた気がした。 (おがさわら)
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