今 週 の レ シ ピ |
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・アドバンスクラスのメニューより●新ジャガとモヤシのサラダ 208kcal. 塩分1.0g
[材料] -4人分-
・新ジャガイモ 小さいもの20〜25個(300g) 揚げ油 塩、胡椒(こしょう) 少々 ・モヤシ 200g ・レタス 3〜4枚 ◎A マヨネーズソース 大さじ4〜5 塩、胡椒 少々
[作り方]
- 新ジャガは小粒のものを用意し、よく洗って、油で色よく揚げてから、熱いうちに塩・胡椒(こしょう)少々を振っておく。
- モヤシはサッと茹(ゆ)で、熱いうちに塩・胡椒を振っておく。
- レタスは冷水でパリッとさせ、水気をよく切る。
- 新ジャガ、モヤシはよく冷やし、別々にマヨネーズで和(あ)え、塩・胡椒で味をととのえる。
- レタスをしいて盛り付ける。
ポイントはここ
- 新ジャガは皮が薄いので、丁寧に洗えば、むかないでそのまま油で揚げてもよいでしょう。
皮が気になる方は、すり鉢に入れて、手でごろごろ、新ジャガをおさえるようにころがしてください。それから洗うと、掘りたての新ジャガはだいたい皮がむけます。- 新ジャガもモヤシも、下味がたいせつ。どちらも熱いうちに塩・胡椒して、それからよく冷まします。
- マヨネーズだけで味付けしようとすると、少しベトベトになりがちです。おいしそうに見えるだけのマヨネーズで味付けし、あと塩・胡椒で味をととのえてください。
ちょっと一言
- このサラダは、本来アドバンスクラス6月第1週のレシピなのですが、最近では6月ともなると、小粒の新ジャガはほとんど店にはなくなってしまいます。私がこの仕事を始めた頃(30年位前)は、もちろんありました。だんだん小粒が出回るのが早くなってきた気がします。まだ店にあるうちに、ぜひ一度、挑戦してください。
- 我が家では、ポテトを油で揚げて作るこのサラダがお気に入りです。新ジャガの季節以外のときは普通サイズのポテトを使い、100〜150g のものを4〜6個の乱切りにしています。
【野口料理学園】
塩 ひ と つ ま み |
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■食の思い出(つづき)食の思い出として、忘れられないもののひとつに、築地魚河岸でのアルバイトがある。バイト料が抜群ということで、人を介して中卸しの店子を紹介してもらった。ヨーロッパ無銭旅行の資金作りだった。1960年代後半、36年も昔に遡る。
山手線の始発で新橋駅を下車。築地までは歩いた。30分以上かかったと記憶する。夜明け前の駅や街の中は閑散としていたが、一旦市場の正面を中に入ると煌々と灯りがともり、すでに各地からの大型トラックが詰め掛けて活況を呈していた。
そこは寿司ネタの店である。アジ、コハダ、アナゴ、タチウオ、モンゴウイカ、ミル貝、赤貝、アオヤギ、シャコ…がならび、都内や近郊の寿司屋が仕入れにやってくる。客の相手をする若い衆が3人。帳場に女性がひとり。忙しい時はふたり。三姉妹がいて、日によって交代するが、おもに長女(既婚)が座っている。
帳場の横に大きなハカリがあって、それを境に奥が店の裏になる。裏方には、買い上げられた魚を、茶屋と呼ばれる配送所まで搬送する係りが荷車と共に3人出張っている。彼らは他に、開店前に競り落とされた魚を競り場から店まで運ぶという重要な仕事がある。これに若旦那、大旦那がいる布陣である。店の実権は若旦那(30代)に移っていて、隠居の身の大旦那は、店の裏にわれわれ使用人といっしょのところにいる。
私の役目はといえば、接客の若い衆がハカリに載せ目方を帳場に伝えた魚、またはあらかじめ店内の別の小さなハカリで量ったものや、個数でいくものなどを受け取り、客の茶屋の番号を聞き、紙に書いてペタリと品物に貼り付けて裏の木箱に入れることだ。搬送係りが、茶屋まで運ぶ段取りを組むのである。
ミル貝や赤貝もよく剥(む)いた。その時は、浦安からの若い女の子がふたり手伝った。といっても、彼女たちの方がはるかに手際がいい。手伝いはこっちである。男女ともゴム製の前垂れを腰に巻き、長靴を履いたスタイルは夏冬変わらない。
最初は魚河岸の場内を歩くのが怖かった。大勢の人、運搬用の大八車(といっても、ひとりで引くサイズ)、ターレと呼ばれる円形の発動機がついた荷車(人が乗って運転、バタバタ大きな音をたてる)、リヤカー、ネコ、自転車、トラックなどがひっきりなしに行き交う。行き交うなんて生易しいものではない。それぞれが出す音と動きで喧騒も甚だしい。あふれんばかりでとっくに飽和状態を超えているから、ぶつかったり渋滞はあたりまえだ。詰まって動かないでいると、すぐに怒号が飛び交う。みんな殺気立って、小競り合いは日常だ。喧嘩腰である。気性が荒いうえに、手鉤(てかぎ)をもっているから、いつそれを振り回すかはらはらする。あわや、という場面にお目にかかるのはしょっちゅうだ。
とりわけ、大八車を引く連中は要注意である。私など、歩くのでさえビクビクなのに、車を引くなどできるはずもない。引いたところで目的地まで行ける自信はなかった。荷を乗せてバランスを取るだけでもむずかしい。それが身に付いても、雑踏の中を引いて歩くには相当の熟練が要る。ゆずったり、割り込んだりする独特の間合いがあるのだ。相手の態度、顔の表情を瞬時に読み取る技術である。同時に、こちらのそれも、相手に伝わらなければならない。これではじめて、暗黙の了解が成立する。
相手の意志や要求がわかっても、こっちのがわかってもらえないとコミュニケーションにはならない。それには、それなりの胆力と「押し」を身につけないと相手から馬鹿にされるだけである。いわばハッタリだ。
なにしろ、荒くれ者共である。彼らは自嘲気味に言う。ここには「××くずれ」が多いのだと。相撲くずれ、ボクサーくずれ、競輪選手くずれの体育会系がいれば、教員だったという「インテリくずれ」もいる。それにヤクザ稼業から足を洗った者も(彼らはくずれようがないから、「ヤクザ上がり」だとも)。一様にここを「ふきだまり」ととらえているようだ。
不思議なことに、日が経つにつれてそんなオソロシサも薄らいできた。慣れてきた、というより、感覚がマヒしてきたのだろう。ときどき、隣接のやっちゃ場(野菜市場)に、品物を届けにいくことがある。初めの頃は、カオスのような魚河岸から抜け出てほっとしたものだったが、そのうちに、静か過ぎて葬儀場のように思われてきた。
生臭く、通りがつねに湿って濡れていたカシとは反対に、路面は乾き、新鮮な野菜や果物のにおいがかぐわしい。天地ほどちがう環境に、とてもおなじ市場内とは思われなかった。
どうしても慣れないものがあった。若旦那と大旦那のいさかいである。
「うるせー!」「目障りだ、すっこんでろ!」「うちへ、けえれ!」
息子は、実の親をテメー呼ばわりしてはばからない。ぼろくそに言われる親父さんの方でも、代を譲ったのだから、後継者にまかせていいと思うのだが、長年第一線でばりばりやってきたのだろう、おとなしく家にいるなど無理なのかもしれない。
ふだんは、店の裏でわれわれと雑談したり、ちょっとしたことを指図したりする。が、若旦那が用事でちょくちょく店を空けることがあると、鬼のいぬ間を狙って(?)、店の中や店頭でうろちょろする。それが見つかろうものなら、さあたいへん。
「店なんか出るんじゃねえ、バカヤロー!」
すさまじい怒声とともに追い立てを食らう。ぶつぶつ言いながらも、すごすごと奥へと引き下がる大旦那…。見ていて気の毒この上ない。この大旦那、包丁の腕はまだまだ達者で、目の前にアンコウを吊るし、サッサッとさばくのを3度ほど見たことがある。それだけに、まだまだ現役に未練がありそうなのだ。
若旦那は若旦那で、男前もあって、典型的な魚河岸の若大将の雰囲気。江戸っ子らしいキップのよさで見事に従業員を取り仕切る。間断なく声をかけて気配りもなかなかのもの。人望もある。それだけに親子の確執は、見るにつけ聞くにつけ、なんともやりきれなかった。
そんな中いちばんの楽しみは、市場内の食堂の食事である。なにを食べても旨いのだ。力仕事をしている連中相手だから、量がある。安い。それに、今で言えば、ファーストフードなみに、注文して出てくるのが速かった。
私は意外にも、魚料理よりカツなど洋食を好んで食べていた。魚は、隣りの店子が鮪(まぐろ)屋で、仕事中頻繁におこぼれにありついて、最高のトロを付け醤油で、あまりの旨さに小躍りしながら頬張っていた。そのせいかもしれない。
半年で、欧州行きの片道の旅行代金が貯まってしまった。初期の目的を果しただけではない。精神的にも肉体的にも、計り知れない自信を得ることができた。なによりなのは、アルバイトで入った私の後釜に、レギュラーを補充したことである。私は、自分のやった仕事が認められたようで、無性にうれしかった。 (おがさわら)(おわり)
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