今 週 の レ シ ピ

●ネギの牛肉巻き

ネギの牛肉巻き [材料]  −6人分−

・牛肉薄切り6枚
◎A
  醤油大さじ2
  砂糖大さじ1
  みりん大さじ1
・長ネギ10cm6本
・焼き油大さじ1
・白胡麻(しろごま)小さじ1

[作り方]

  1. 牛肉は薄切りを用意し、Aを合わせた中に5〜6分漬ける。
  2. 10cmくらいに切った長ネギも、肉といっしょに漬け込む。
  3. 1の牛肉で、2のネギを巻く。
  4. フライパンに油を熱し、3の巻物を焼き、漬け汁を加え、からめる。
  5. 巻物を長さ3cmくらいに切り、小皿か小鉢に盛り、粉山椒と切り胡麻をかける。
ポイントはここ
ちょっと一言
  • 牛のモモ肉の薄切りが適していると思います。スーパーで「切り落とし」として売っている中から、なるべく、大きそうなのを選んで買ってください。それをまな板の上に広げて、「肉たたき」を使ってさらに薄くのばします。厚めの肉をネギに一巻きするよりは、薄いものを2、3回巻く方が食べやすいように思います。いかがでしょうか。
  • ネギは、柔らかくて細めのものを選んでください。万能ネギやわけぎなどは細すぎますし、辛さが物足りない気がします。いわゆる「長ネギ」を使ってください。
【野口料理学園】

塩 ひ と つ ま み

■あるこだわり

訃報が届いた。遠国から。特別な人の。
白寿の大往生だった。齢だけに、いつその報せがきてもおかしくなかった。さいごに声を聞いたのは、毎年誕生日にかける4月の電話だった。こちらの声はわかるようでも、内容まで聞き分けることはできない様子だった。が、声にまだまだ張りがあり、百はらくに超えると疑わなかった。それが、とうとう来るべきときが来てしまった。

出会って以来、師と仰いできた。この人を知って、ブラジル移住を決意した。28年前である。ふらふらアマゾンから下ってサンパウロへ行ったときだった。知人をつてに、サンパウロ人文科学研究所というところをたずねていった。夕方、4〜5人の老人たちが酒をなめなめ談笑していた。

どこの馬の骨ともしらない風来坊をスーッと座の中に迎えてくれた。みな、とんでもない強烈な個性の持ち主だった。画家がいて大学教授がいて、企業家、ジャーナリストがいた。いちばん年長でリーダーらしき人物がその人だった。すでに70を越えていた。話の面白さに、すぐさま惹き込まれた。饒舌ではまるでない。関西訛りで訥々と、耳をそばだてないと聞き漏らすほどくぐもった声である。独特の間合いがあった。おそろしく博識で内容が深い。ユーモアも上質だった。

何が気に入られてか、目をかけてくれた。週1は家に呼ばれ、じきじきにブラジル語を習い、食事をふるまわれた。異郷に生きる日本人に急速に興味をおぼえていった。運命を切り拓いていく意志力と行動力に圧倒された。そうした歴史を掘り起こしてみるのも面白い。「見本」がごろごろしていた。日本に一時帰国をすすめられた。そのための費用を全額負担してくれた。ブラジルにもどる保証もなにもなしにである。

師は三重県の生れ。中学卒業後、1925年(大正14)単身でブラジルに渡った。いち早く語学をマスターし、日本人として初めて大学卒の土木技師となった。日系の産業組合で腕をふるうかたわら、戦後はいわゆる「勝ち負け抗争」に身を挺し修羅場をくぐった。情勢分析の的確さと剛胆さが、いくども窮地を救った。

まさに厳父だった。柔と剛、寛容と厳格のコントロールが師の真骨頂である。異国の言語・風習に通暁する古武士だった。筋が通らないとみると、日本人だろうとブラジル人だろうと容赦はしない。剣道三段である。といって拳がとぶわけではない。声を荒げるでもない。むしろ沈みがちな口調でたんたんと言ってくる。理詰めに。だから効く。

師宅を訪うに、楽しみがあった。セニョーラ(奥様)の料理である。和食でもブラジル食でも群を抜いた。なかで最高は「ドゥラード飯(めし)」。ドゥラードという頗るつきの美味の魚を、野菜や米といっしょに大鍋にぶち込んで炊いたあと、身をほぐしてさらに飯にまぜて食べる。ほかではゼッタイに味わえない。なにかというと所望した。

師とめぐり合えたのは僥倖だった。ブラジルにおける最大の収穫である。すでに老境にあった。遅かったとは思わない。間に合って幸運だった。円熟期で迫力は十分。ブラジルの大地を縦横に駆け巡ったパイオニアたちの生きざま・死にざまを、じかに見た者にしか語れないことばで語ってくれた。師自身のもつフィルターを通して生き生きと。どの人物も魅力的だった。

18年前、師は倒れ、生死のあいだをさまよった。命は取り止めたものの、心身の頑健さはなくなっていた。私をブラジルに繋いでいた留め金にゆるみが生じた。あとすこし元気でいたら、迷うことなく私はブラジルに残ったろう。

ひと月前、体調をくずして病院に運ばれた。が、無意識のうちにも入院を拒否、希望通り自宅に帰された。そこで静かに息を引き取った。臨終の床にこだわったのである。さいごまで“信念の人”だった…
わが師・河合武夫さん。安らかにお眠りください。(お)

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