今 週 の レ シ ピ |
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●三色おはぎ
[材料] -6人分-
・もち米 3合 ・水 2.5カップ ◎A 小豆(あずき) 250g 砂糖 280g 塩 小さじ1/4 ◎B 黒胡麻(くろごま) 大さじ4 砂糖 大さじ2 塩 小さじ1/4 ◎C きなこ 大さじ3 砂糖 大さじ1 塩 小さじ1/4
[作り方]
- もち米はといでザルに上げ、30分くらい水気を切り、鍋に分量の水といっしょに入れ、さらに30分くらいおく。火にかけて、うるち米と同様に炊き、ボールにあけ、好みですりこぎでつく。
- 小豆をやわらかく煮て、砂糖と塩で味付けし、皿にあけて冷ます。
- 黒胡麻をすり、砂糖と塩で味付けする。
- きなこに砂糖と塩で味付けする。
- 直径4cmくらいに丸めた1のごはんを、布巾にのせた小豆あんで包むようにして形を整え、6個作る。
- 5のごはんより少し大きく丸め、小豆あんを少し芯にして形をととのえ、3の黒胡麻と、4のきなこをまぶす。それぞれ6個ずつ作る。
ポイントはここ
- もち米は、うるち米より炊くときに水が少なくてよいのです。だいたい同量か、すこし少なくてよいでしょう。 充分、水を切ってから水加減はしてください。
- 炊き上がったらボールにあけて、餅をつくようにすりこぎでついて、好みのつき加減にします。
- 小豆(あずき)は、水でもどす必要はありません。鍋にかぶる程度の水といっしょに小豆を入れ、火にかけ、沸騰したらその湯を捨て、また水を加えてやわらかくなるまでゆっくり煮ます。指の中で簡単に豆がつぶれるようになったら、砂糖を加え、5〜6分煮て、一晩おきます。甘味がついてから塩を少々加えて、火にかけ、煮上げます。平皿にあんをあけて、冷まします。
小豆 鍋底に一の字 平皿に広げる
- 黒胡麻、きなこの味付けは目安です。砂糖の甘さをおいしく感ずるのは「塩」のおかげ!くれぐれもお忘れなく。
- 小豆あんを固く絞ったぬれ布巾に広げ、握ったごはんをのせて布巾で包むようにして形よく握ります。
- 黒胡麻、きなこをまぶすごはんのなかに、少しだけ「あん」を入れます。
ちょっと一言
- 23日が今年は彼岸の中日です。じっくり小豆あんを煮て、「おはぎ」に挑戦してください。
- 「おはぎ」と「ぼたもち」は、基本的には同じもの。秋の花「萩」から、秋の彼岸は「おはぎ」といいます。春の彼岸は、「ぼたん」から「ぼたもち」となります。
【野口料理学園】
塩 ひ と つ ま み |
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■知恵深夜、衛星テレビで、成瀬巳喜男監督の「驟雨」(しゅうう)という映画を観てしまいました。観るつもりはありませんでした。たまたまチャンネルをまわしたら、やっていたのです(いま、生誕100年記念で同監督作品の特集をしています)。
聞いたこともない題名でした。でも、観ている内にだんだん引き込まれていきました。佐野周二や原節子、小林圭樹、香川京子たちのとびっきり若い姿やストーリーよりも、画面に映っている変哲もない風景や風俗にです。たまらなく懐かしいのです。1956(昭和31)年の作品とありました。私たちの年代でいうと、まさに子どもの頃の情景です。
いろいろな記憶が甦ってきました。舞台は、東京の近郊のようです。駅前だというのに、道は舗装されていません。もちろん、主人公が暮らす住宅地の道路もぜんぶ土で、まわりは原っぱです。雨が降って、電車で家路につくサラリーマンの夫を、妻が傘とゴム長靴をもって駅頭に出迎えるといった場面がでてきました。思わず、そうそうそんな光景もめずらしくなかったわと、再発見したような気持ちです。
建っている住宅はほとんどバラックです。小さくて安普請で、今から見るとまるで仮設住宅のようです。当節の仮設の方が、雨漏りがしないだけマシかもしれません。むかしは普通の家でも、ちょっと強い雨が降ると雨が漏り、畳の上にバケツや洗面器を置くのに走りまわりました。台風でもきたら、雨漏りはおろか家ごと飛ばされるのでないかと、それはおそろしかったものです。
市街地がでてきました。ここも舗装されていません。自動車もほとんど通りません。通りに面して商店がびっしりです。○○屋さん、××屋さんが軒を並べています。小商いの全盛時です。デパートのような大型店は、よほど大きな都市にしかありませんでした。比較的品揃えが豊富な万屋(よろずや)でも、今のコンビニほどの規模もなかったでしょう。そういえば、クラスの親の職業は、大半が商売屋さんでした。勤め人は少なかったのです。
家の中に目を転じると、さらに懐かしいものが目に入ります。まず玄関の戸を引くと、内部全体が見通せます。廊下もなく、部屋数も二間ていどです。すぐ台所があります。煮炊きはカマドに七輪が主役。燃料は薪と炭、それに練炭です。近頃の家のように機密性はありませんから、煮ても焼いても、臭いやら煙やらで、お隣さんの献立は筒抜けでしたっけ。
水は井戸からが普通でした。映画では、井戸は戸外です。お隣りとの境にあって、2軒が共同で使っています。そこから室内の台所に汲んでいるようです。風呂場は映っていませんでしたが、おそらくないでしょう。内風呂は夢の夢、最高のぜいたくの部類で、銭湯に通うのが一般的でした。
食卓はもちろんちゃぶ台です。丸くて狭いのですが、場所がなくなるほど食器は並びません。ごはん・味噌汁におかずが一皿かふた皿、それにお新香ぐらいでしょう。だから、食べる時間の短いこと。パパッと済ませてしまいます。質素なものでした。
“電化”のデの字もありません。家事は手作業というか、肉体労働が基本です。食料は買い置きできませんから、買い物籠を下げて、毎夕商店街にでかけては仕入れてきます(よく売りにもきました)。その合間に掃除や洗濯ですから、主婦は専業でも結構忙しかったのです。
観終わって、タイムスリップした気分になりました。現代から、あの時代を再現して撮ったのではありません。当時あったそのままです。当たり前ですが、時代考証はまちがっていません。そっくり昭和31年の時間が画面に流れていて、スーッとその中にこの身を入れることができたのです。
とても新鮮でした。記憶にのこっているだけでなく、じっさいにどっぷり経験済みのはずなのに、です。カルチャーショックさえ受けました。写真ではこうも気分は高揚しないでしょう。映像だからだと思います。映画のもつ凄さ・すばらしさをあらたにしました。
なにもかも不便で貧しかったのに、暗さも惨めさも感じません。むしろ、突き抜けるような明るさです。たくましさもありました。SL(蒸気機関車)を目の当たりにしたような迫力と力強い感覚です。目的地にむかってがむしゃらに突き進む、いま思えば、それは、“希望”だったような気がします。
あらゆるものが便利で豊かになりました。当時の希望が、すべて実現したかのような現代です。ここが目的地なのでしょうか。だれもそうは思わないでしょう。だからといって、あの時代に戻りたいとも思わないにちがいありません。
映画を観てわかったのですが、あの時代のアナログ的なものが自分の中にはまだたくさんのこっているように思います。なくすには惜しい、とっておきたい、伝えてやりたいというような大事なものです。なんだろうと考えてみて、思いいたりました。それは、“知恵”。“生活(暮らし)の知恵”です。知恵をめぐらすところには希望があり、明るさがあります。それによって、今の世でいちばん欠けているとされる人とのコミュニケーションの輪も拡がる、のではないでしょうか。
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