今 週 の レ シ ピ

わが家の冬の定番「フランス料理」から

●鱈(たら)のトマト煮

鱈(たら)のトマト煮 [材料]  - 6人分 -

・鱈(たら)1切れ80g位6切れ
  ◎A
    塩小さじ1
    胡椒(こしょう)少々
・トマト2個
・シャンピニヨン小12個
・長葱(ながねぎ)1本
・バター大さじ1
・フュメドポワソン
・生クリーム1/2カップ
◎味付け調味料
  塩適宜
  胡椒少々
  ナツメグ少々
・刻(きざ)みパセリ少々

[作り方]

  1. 鱈(たら)の切り身に、Aで下味をつける。
  2. 平鍋にバターを塗り、長葱(ながねぎ)のみじん切りを散らし、鱈の切り身をならべ、シャンピニヨンの薄切りとトマトのコンカセを散らし、フュメドポワソンを加え、弱火で10分位蒸し煮する。
  3. 2の鱈を皿にとり、冷めないようにしておく。
  4. 煮汁を半分に煮詰め、生クリームを加え、Bで味をととのえてソースを作る。
  5. 3の鱈に4のソースをかけ、刻みパセリをふって仕上げる。
ポイントはここ
ちょっと一言
  • 「鱈」は冬の代表的な魚。わが家には暮れから正月にかけて、大きな、新鮮なものを東北の友人が贈ってくれます。三枚おろしにして、寄せ鍋、水たきなどの鍋料理でまずいただきます。
    それから、もう一品が、この「鱈のトマト煮」。自分でおろしますから、当然「骨」があります。それで「フュメドポワソン(魚の出汁=だし)」がとれます。鶏がらからとるヴイヨンは時間がかかりますが、魚の骨からの出汁は20分煮込めばとれます。
    友人に感謝しつつ、フランス料理を心ゆくまで楽しんで作り、白ワインを片手に、家族とゆっくり味わいます。
    魚料理には、固形のコンソメの素はちょっと会わない気がします。できれば「舌平目の骨」がよいのですが・・・私はニジマス、ヤマメなどの川魚の骨を使うこともあります。ぜひ、工夫して、フランス料理の「魚料理」に挑戦してみてください。
    (「魚の骨を工夫して」なんて、海の近くの方には笑われてしまいそうですが、わが山梨はなかなか家の近くではいろいろな魚は手に入りにくいのです。最近では、ちょっと車で郊外までドライブがてら「鮮魚センター」に行けば、まるごと、つまりおろしてない魚を選んで買えるようにはなりましたが・・・)
塩 ひ と つ ま み

■郷愁

今年の正月は、お決まりの冬山登山を取りやめ、といって初詣にでかけるでもなく、ダラダラ時間が移ろいでいくのをそのままに、贅沢というか安逸を貪るすこぶる怠惰な日々を送ってしまった。以前なら、そんな海底に横たわった沈没船状態に、身も心も強く反発するか、あるいは続けるにしてもそれなりの苦痛を伴ったものだが、近頃ときたら、なんの抵抗もなく受け入れ、それどころか縁側で日向ぼっこする猫よろしく、得も言われぬ心地よさを覚えるありさま。それだけ老朽船となったということだろう。

ごろ寝の楽しみといえば、BSで特集していたお馴染みの『男はつらいよ』。そう言えば、『寅さん』のようなシリーズ物の「お盆映画」、「正月映画」の定番がいつの間にかなくなった。食材の旬が消えつつある今日日(きょうび)、季節の風物詩がひとつふたつ消えたところで珍しくもないが、クリスマスにサンタクロースがやってこないのに似て、やはり一抹のさびしさがある。

まとめて寅さんを観ることになって、ある感慨に導かれた。
そもそも、映画『男はつらいよ』を初めて目にしたのは、シリーズも14作目である。それも、寅さんが目当てではなかった。『砂の器』を観ようと映画館に入ったら、たまたま併映。ところが、これがたまらなく滑稽で面白い。本命『砂の器』もまたズシリと胸にきて、映画館でこれほど笑いかつ泣いた経験は後にも先にもない。

14作目ではあるけれど、じつはストーリーはおろか、シリーズ何作目なのか、『寅次郎〜』のサブタイトルも、マドンナがだれなのかさえ憶えていなかった。ただただ笑い転げた記憶があるだけである。(『砂の器』の製作年を調べ、逆算して14作目とわかった)

もともと『男はつらいよ』は、映画以前に作られたテレビ版をよく観ていた。妹役の長山藍子、恩師である英語教師の東野英治郎、マドンナは恩師の娘・佐藤オリエだった。それが突然、主人公の寅が毒蛇に噛まれて死んで、あっけなく番組が終了した。終わり方があまりに唐突で、視聴者をバカにしている!と、腹を立てたことがいまだに忘れられない。

盆・正月の恒例行事として観だしたのは日本においてではない。ブラジルのサンパウロである。松竹専門の映画館があって(今はない)、つねに旧作だったが、季節が逆とはいえ、いや、だからこそ異国の盆・正月に、鑑賞できるのがとてつもなくありがたかった。

当時、私にとっていちばんの見所は寅さんではない。マドンナでもない。人物でなくて風景である。ロケ地にでてくる四季折々の日本の田舎のそれ。寅さんが訪れる地方の小さな町だったり村だったりの、変哲もない佇まい。そこが港町であるより山里であれば可。バックに雪をいただいた山でもあればなおよし。さらにそれが信州や甲州から望むアルプスであったりしたら、もう気も狂わんばかりである。

郷愁にかられていたのは私だけではない。かの地には、明冶・大正・昭和戦前生まれの日本人がゴマンといた。下町の人情に生きる寅さんと意気投合しないわけはない。かくて、ロケ地に是非ともサンパウロをと、5万人の署名をめざして本格的に誘致運動を展開した。

なるほど、言われてみれば――
「日本より隔たること2万キロ、ここサンパウロは、かの第1回芥川賞作家・石川達三が描きし『蒼茫』で有名なブラジルの、最大にして南米随一の都市であります。わたくし車寅次郎はその一角、東洋街の赤い鳥居の前に立ちて〜〜」
――で始まる航空便が、ある日、「とらや」のさくらのもとに舞い込んでもおどろくにはあたらない。例のいでたちでカバンを拡げ、日本のカレンダーなんか売ったところで違和感はない。むしろ飛ぶように売れるだろう。

おどろくのは寅のほうだ。日本語で通せるだけではない。日本語の新聞もあればテレビもある。日本食にも困らない。味噌・醤油をはじめ、豆腐だウドンだ納豆だ、それに日本酒まで作っている。「とらや」顔負けの草団子もあれば、羊羹だってある。おいおいここはホントに地球の反対側かい? と目を丸くするにちがいない。

というわけで、その死がもう少し先だったら、寅さんの雄姿を実際にサンパウロで見ることができたかもしれない。映画の冒頭に出てくるあの「夢物語」に終わってしまったようだ。惜しまれるところである。

ともかくも、私のサンパウロ生活は、もっぱら『男は辛いよ』によって癒された。「郷愁」と言ってしまえばそれまでだが、この種の感情はちと厄介である。ほどほどにしないと、癒されるどころか際限なく膨らんでいく。なまじなら、ないほうがまし。もてあまして却って毒である。とはいえ、我慢したのではそれ以上に体にワルイ。とまあ、結局のところは観てしまった。寅さんに感謝である。(おがさわら)

【野口料理学園】


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