今 週 の レ シ ピ |
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・専攻科のメニューより
●ぬっぺ汁[材料] - 4人分 -
・山芋 200g ◎A 酢 少々 大根のしぼり汁 1/4カップ 砂糖 小さじ1 卵 1個 ・豆腐 1丁(400g) ・日本葱(にほんねぎ) 1本 ・もみ海苔(のり) 少々 ・かつお出汁(だし) 3カップ ◎B 醤油(しょうゆ) 大さじ3 塩 小さじ1
[作り方]
- 山芋は皮をむき、酢水につけてから、おろし金でおろし、Aを加えてよく混ぜ合わせる。
豆腐は、長さ2cm幅1cmに切る。
日本葱は小口切りにし、ふきんに包んでさらす。- かつお出汁にBを加え、濃い目の味付けにする。
- 2に豆腐を加え、煮立て、火を止める。
- 椀(わん)に3を盛り、1の山芋を加え、さらし葱ともみ海苔をかけてすすめる。
ポイントはここ
- すり鉢がありますか? あったら、山芋はおろし金より、すり鉢にこすりつけるようにしておろしてください。とても滑らかにおろせます。その中にAを加えて、スリコギでよく混ぜてください。
山芋をする 大根のしぼり汁を加える 卵を加える
- 味付けした汁に豆腐を加えたら、煮立てるのは一度だけ。くれぐれも、豆腐を煮すぎないこと。
- 味付けした山芋は冷たいので、汁に加えたら、すぐに食べるようにしてください。
ちょっと一言
- ぬっぺ汁(または「ぬっぺい汁」)は、各地におなじ名前のものがありますが、このぬっぺ汁は岩手県の郷土料理です。寒い冬の夜、体が温まる汁物として、たいへん好まれています。
- 出汁(だし)は、かつおぶしの他に、昆布、煮干し、干し椎茸(しいたけ)などでとることもあります。
- 豆腐の切り方は、岩手県では長さ4cm幅1cmに切るとか。ここでは、少しだけ長方形にしてみました。
参考までに、もうちょっと一言
- 大根のしぼり汁を使ったあと、当然ですが、大根おろしが残っています。我が家ではぬっぺ汁のときは、焼き魚か、天ぷらが食卓に上ります、大根おろしを無駄にしないために!
塩 ひ と つ ま み |
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■砂の味毎日新聞で、「いただきます考」いうのを募集しています。(2006年1月21日付)
「給食の時間に、うちの子には『いただきます』を言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくてもいいではないか」というのです。外食のときも同様で、さらにその際に手を合わせるのは、特定の宗教的行為を強要するのではないか。お金を払っているのだから、してもらうのは当然で、それにたいして「いただきます」(この場合は『ありがとう』の意)は言う必要はないという意見です。同記事によると、ラジオでこの問題を提起した永六輔さんは、つぎのように言っています。食べ物にたいして、あなたの命を私の命にさせていただきます、という感謝の念をこめる。つまり、「いただきます」を言うか言わないか、合掌するかしないかよりも、「大切なのは食べ物を大事にできているかどうか」ですと。永さん自身も普段は言ったり言わなかったりで、他人にも強制しないそうです。
私も考えてみました。
人それぞれですが、正直、ちょっとびっくりしました。給食にはたしかに金銭の授受がありビジネスは成立しますが、せいぜいそれは、おかずを増やすとか、おいしくなるように工夫するとかの献立、あるいは設備や環境の改善などに対価を求めたいところです。まさか、「いただきます」のことばそのものに言及するとは思い至りませんでした。そういう捉え方もあるんだと、感心(?)さえしたものです。○人間にとって、食料調達・飢餓克服は最大かつ永遠のテーマです。食べ物って、簡単に手に入るものではないですよね。目の前に食べ物があるということは、当たり前のことのように思われがちですが、そうではありません。戦争、天災など、なんらかの理由によって滞ることは往々にして起きます。人類は数え切れないほど遭遇してきました。そうした状態では、お金は、あっても無力です。ですから、まずもって食べ物がそこにあるということ自体に感謝の念が湧き上がってくるのは当然でしょう。
「給食」にビジネスが介在しようがしまいが、「いただきます」で象徴される感謝のことばが発せられるのは、純粋に素直な気持ちからです。異を唱えるのが解せません。そんな次元ではないように思うのですが。
○つぎに。豪華な食卓に着いて、いままさにごちそうにあずかろうとする瞬間、腹痛を起こすとか、急に熱をだすとかして身体に異常をきたす事態に陥ったらどうします? 食事の用意が万端ととのっていても、健康でなかったら食べることができません。ケガや病気をしてしみじみわかるのですが、食べる側の条件もそろっていないと人間は食にありつけない。
さいわい大病はしたことはありませんが、ちょっとしたキズや熱で食欲が湧かないときがあります。ふたたび食べられる状態にもどると、束の間、幸福感に満たされる。そんな経験をみなさんもお持ちでしょう。そうです、食べ物に感謝すると同時に、食べることができる「自分の健康体」にも感謝したい。「いただきます」には、そんな意味もこめられています。
○また、単純に言語上のことと解釈することもできるでしょう。「飲む」「食う」の謙譲語としての「いただきます」。つまり、「食べます」をさらにへりくだって上品に表現したい場合、「いただきまーす」という具合に。
○私自身も永さんとおなじで、言うときもあれば言わないときもあり、手を合わしたり合わさなかったり、目をつむったり、お辞儀をしたりと表面(おもて)に現われる動作は、時に応じてさまざまです。自分では意識しません。ところが、それが災いして、「大失敗」したことがあります。
若かりし頃です。友だちの家で食事をしたときでした。いつものつもりで、「いただきます」と言って軽く会釈し、箸をもったときです。家族のみなさんがお祈りをはじめていました。
――しまった! こちらはキリスト教だった。
あわてて箸をおき、私も「黙祷体制」に入ったのですが、後の祭り。気付いたときが遅かったようです。みなさん目を閉じていましたが、しっかり「無作法」を見られたにちがいありません。ウロタエました。あとで、なにを食べたのか、どんな味がしたのかいくら思い返してもわかりませ…いいえ、よく憶えています。砂を噛む思いでした。やはり食事の前には感謝を忘れてはいけないようです。とくに初めての席では先走らないように、目の前の食べ物、健康な自分、そして居合わせた全員にたいして、「いただきます」と感謝を捧げましょう。
【野口料理学園】
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