今 週 の レ シ ピ |
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・ベーシッククラス(8月第3週)のメニューより●梅子肉糸(豚肉の甘酢あんからめ) 226kcal. 塩分1.5g
[材料] -6人分-
・豚もも肉 150g ◎A(下味付け用調味料) 塩 小さじ1/2 胡椒(こしょう) 少々 酒 大さじ1 片栗粉 大さじ1 ◎衣 卵 1/2個 水 大さじ4 小麦粉 大さじ5 片栗粉 大さじ1 ・玉葱(たまねぎ) 中1個(150g) ・人参(にんじん) 50g ・油(揚げ用・油通し用) 3カップ ◎B(味付け用調味料) 塩 小さじ1/3 醤油 大さじ1 砂糖 大さじ3 酢 大さじ3 トマトケチャップ 大さじ3 水 大さじ3 片栗粉 大さじ1 ・炒め用油 大さじ3
[作り方]
- 豚もも肉…一口大の薄切りにし、Aで下味をつける。
玉葱…薄切りにする。
人参…長さ4a位の短冊切りにする。- ボールに衣を作り、豚肉につけ、170℃位の油で一枚ずつ揚げる。
- 130〜140℃の油に玉葱・人参を加え、油通しをする。
- Bをボールに合わせ、よく混ぜる。
- 中華鍋に炒め用油を強火で熱し、Bを加え、煮立ってとろみがついたら、2の豚肉、3の玉葱・人参を加え、あんをからめて火を止め、皿に盛り、グリンピースを散らす。
ポイントはここ
- 豚肉は、脂肪のすくないもも肉の薄切りを一口大(3〜4a角)に切り、直径15a位のボールに入れ、Aで下味をつけます。まず塩・胡椒をふりかけ、手でよくもみ込みます。つぎに酒大さじ1を加えて、さらによくもみ込みます。酒が全部肉に吸い込まれたら、片栗粉を振り入れて、肉のまわりにまぶします。
- 直径15〜20a位のボールに、衣を作ります。卵と水を入れてよく混ぜ、その中に小麦粉と片栗粉を合わせて振るい入れ、粉のつぶがないようによく混ぜ、なめらかな衣を作ります。
- 衣の中に下味付けした豚肉を入れ、衣をつけます。この時も手を使い、豚肉をよくほぐし、一枚ずつ油に入れます。油は170℃位の温度で、カリッと揚げます。衣があまったら、油の中に流し入れて、揚げて、肉といっしょに使います。
下味をもみ込む 衣に加える 一枚ずつ揚げる
- 玉葱は、繊維にそって5a厚さ位の薄切りにします。人参は、長さ4a巾2a厚み2_位の短冊切りにします。
玉葱・人参をいっしょにジャーレンに入れ、130〜140℃の油の中につけます。野菜を油の中で、煮るように火を通します。炒めるより油がたくさん必要ですが、それだけに炒めるよりおいしくできます。この方法を中国料理では「包油」と書き、日本語では「油通し(あぶらとおし)」と表現します。
- グリンピースは、冷凍食品の場合は、凍ったまま熱湯へ入れ、1〜2分加熱してください。缶詰の場合は、熱湯をかけてよく水気を切ってください。
- Bの調味料を合わせて、味付けにします。材料の豚肉は、味をつけて火が通してあります。また野菜にも火が通っています。したがって、調味料を材料にからめるだけで仕上がりますので、片栗粉まで加えてください。
- 豚肉・野菜・グリンピース・味付け用調味料すべての準備ができたら、中華鍋に炒め用油大さじ3を熱します。油がちょっと多いように思われるかもしれませんが、味付けのたれをなめらかにし、料理をつやよく仕上げるのには必要です。
- 熱した油に味付け用調味料を加え、泡立ったように煮立ってとろみがついたら、手早く用意した豚肉と野菜を加え、あんをからめて火を止めます。この間10〜15秒位です。準備がととのってから油を熱する意味が、お分かりと思います。
ちょっと一言
- 「油通し」(包油)は、「揚げる」とは違います。私は、揚げるのは160℃以上としています。油通しは130〜140℃、「油で煮る」感覚です。
- 「ジャーレン」は、この油通しをする時にあると便利な中国の料理道具です。また深めの鍋と組み合わせると、「油切り」としても使えます。
≪組み合わせメニュー≫
◎豆腐の和(あ)え物
◎ザーツァイのスープ
◎白玉だんごのシロップかけ
【野口料理学園】
塩 ひ と つ ま み |
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■体験食
- 終戦記念日がありました。もう57年か、まだ57年かはそれぞれの思いで異なるでしょうが、歳月はまちがいなく積み重なっていきます。当事者の数も確実に減っていくなかで、戦争の悲惨さは語り継いでいかなければなりません。命の大切さとともに、食の重要なことは骨身にしみて味わった世代です。ひもじい思いで生死をさまよい、のちにあふれるほど食品が豊かな時代の両方を知った体験は貴重です。ふたつの世態を経ているからこそ、説得力があります。あの人たちの体験からくる食べ物の嗜好、それは強烈なものがあります。
- 私の母の場合、ジャガイモ・カボチャ・カブ・それにスイトンにたいしては嫌悪感がありました。戦中戦後、嫌でも食べなければならなかった、その反動といえるようです。たとえばジャガイモなどは、カレーライスに入っているのも気になるほどで、長く煮込んで形がわからないようにしていました。
南方にいた父は、凄惨といっていいでしょう。極限状態で戦場をさまよい、口に入るものはなんでも食べたそうです。嫌悪感が入る余裕さえなかったようです。戦争が終わったあとも、現地で英軍による捕虜収容所生活が待っていました。国際条約上、生きるぎりぎりの栄養分は保証されましたが、薄暗い湿った部屋からたまに日光浴で外に出されると、目に入る"青いもの"をむさぼり喰ったそうです。トウモロコシ30粒と塩水1杯が朝食でした。まれにチーズ一切れが加わることがありました。そのときは、昼までの腹持ちがまるっきり違ったそうです。以来、父のチーズにたいする価値観は絶対となり、この世で最高の食べ物であると、神様のように崇めたてまつっていました。- 一年半の収容所生活ののち、命からがら復員してきました。体は衰弱してボロボロの状態でした。体力を回復させようと、母は毎日、糠(ぬか)を煎って父に食べさせたといいます(私に記憶がありませんが)。それに、持病となってしまっていた喘息にいいからと、ふきの葉っぱを醤油で煮て、びん詰めにし(冷蔵庫がありませんでしたから)、切らさないようにしていたそうです。
- こんな父でしたから、好き嫌いは許さず、食事を残すことも厳禁でした。おかげで私はなんでもいただき、今にいたるまで病気ひとつせず健康体です。ところが弟の方は、けっこう好き嫌いがあるうえに食べるのがのろくて、よく叱られていました。それが後年、大学の「学食生活」のあいだに劇的(?)に変身、好き嫌いはなくなってよかったのですが、あまりの"早飯(はやめし)"に逆に親を嘆かせたくらいです。
- 両親のように、「食の体験」は、生涯にわたってその人間の嗜好を決定しますが、一方で弟の例でもわかるように、環境によって変わりうるものであるということもいえそうです。後者を考えた場合、たとえば独身時代の嗜好と、結婚して家庭を持ってからのそれは、大変化する可能性があるということです。どちらが主導権を握るかによってですが…
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