塩 ひ と つ ま み |
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■緊急事態体験入学というのがあります。
授業を一度体験してみてから、入学するかどうかを決めるのです。教室に問い合わせがあったときはまずこれを紹介し、納得の上での入学を勧めています。結婚とか奥さんを亡くすとか、一人暮らしを始めるなど必要に迫られる場合は、即入学の手続きに入りますが、それほど切羽詰っていない場合、1〜2週間後に入学の返事をくれます。遅い人で1ヶ月後くらいでしょうか。なかに、間が開きすぎて、忘れた頃に(?)やってくる方がいます。
先日も問い合わせがありました。
「体験入学というのがありますが」
と言うと、
「実は1年前にしました」
「まあ!」
というわけです。たっぷり時間をかけて熟考したようです。決断にそれだけの時間が必要だったのでしょう。基礎コースなら修了している長さです。どうして? などと、野暮な質問はしません。以前、体験してから2年後にきた人もいましたから。
考えに考え抜いたというわけでもなさそうです。単に決心の先延ばし、いわばほったらかしにしていたにすぎなかったのかもしれません。あるいは決断はとっくにしていながら、いざ実行に移すのに時間がかかってしまったか。のっぴきならない事情があった可能性もあります。ともかく、料理の勉強がそれほどの緊急事態ではなかったということは言えそうです。
これだけ時間がたつと、さすがに相手の顔も名前も覚えていません。よほどでないかぎり記憶には残りませんが、15年ほど前でしたか、体験にきて、誤って大小の皿(数枚)を割った人がいました。これは強烈でした。いまだに覚えています。
でも嬉しいものです。ほったらかしだろうと長考の末であろうと、よくぞ忘れずにお出でくださいました。時間の経過は問題ではありません。習いたいという意思こそ尊いのです。とかく最近の若い人はノンビリ屋さんです。
高度成長期だった私どもの若い頃はセワシイ時代でした。テレビで映画『キューポラのある街』を見る機会がありました。吉永小百合さん、浜田光夫さんの若かりし頃の映画です(1962年)。みなさん、訳もなく(あったんでしょうけど)走ってばかりです。この映画に限らず、あの当時の日本映画、それも青春映画というのはやたら走り回るシーンが目に付きました。子どもの数が多かったので、なにをするにも競争です。のんびり構えていたら、置いてきぼりです。料理も例外ではありません。食べるのも必死なら、作るのも必死でした。一所懸命でした。言葉を変えると、あくせくして、余裕がありませんでした。
今の人は不真面目、努力が足りないというのではありません。諦めがいいというか、これも言葉を変えて言うと、優雅なのです。「ゆとり教育」のあらわれでしょう。リズム・テンポがゆったりです。
それでいて、速さを求め、手間ひまを惜しみます。料理はできるだけ簡単に手早く、さらにいえば、手を汚さずに済ませたい。でもこれを贅沢と解すれば、便利さの追求は昔も変わりません。その結果として今があります。どちらが良い悪いというより、背景にある時代のなせるわざです。若者は時代の申し子です。決定的なのは経済力のちがいで、はるかに豊かになったということです。発展途上から成熟の時代へと変化したのです。
しかしながらこの成熟社会も、少子高齢化の到来で揺るぎつつあるのはご存知の通りです。東日本大震災では甚大な被害を受けました。原発破壊という、想定しなかった放射能事故も発生しました。天災だけではありません。身近な人災として、失業があります。職を失って路頭に迷う心配もあります。
こうした災害に襲われたらさいご、保証されていた便利な生活から放り出されてしまいます。こんなとき人間の生活はどうなるのでしょう。被災地や避難所での苦労は想像を絶します。命の重みとそれに直結する食がいかに重要で根源的であることか、便利なものに頼った食事や料理が、どれほど無力なのか身に沁みて思い知らされます。
このように、一挙に不便を強いられる緊急事態に陥る危険からはだれも逃れることはできません。日本に住まう以上、これからもずっと付いて回ります。欠食と飽食の両方を体験した先人先輩たちと、私たち団塊世代は同時代に暮らしています。それらの貴重な体験をしっかりと受け継ぎ、若い人たちにこのことを伝え、さらに次の代の人たちにもこの体験を生かしてもらいたい。たとえ食に困る事態に立ち至っても、機転と工夫によってすこしでも緩和できることを願わずにはいられません。
【野口料理学園】
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