今 週 の レ シ ピ |
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・アドバンスクラス(3月第3週)のメニューより●クラブ オー パプリカ 156kcal. 塩分1.0g
[材料] -6人分-
・食パン 1/2斤 ・カニ缶 小1/2缶(50g) ・玉葱(たまねぎ) 小1/2個(70g) サラダ油 小さじ1 ◎ホワイトソース バター 大さじ2 小麦粉 大さじ4 牛乳 1/2カップ ブイヨン 50cc 塩 小さじ1/2 胡椒(こしょう) 少々 ・卵黄 1個 ・バター(食パン塗り用) ・パン粉、パプリカ ・パセリ
[作り方]
- カニは缶から出して、ほぐしておく。
玉葱はみじん切りにし、サラダ油で炒めておく。- ホワイトソースを作る。
- 2に卵黄を混ぜ、カニと玉葱を加え、混ぜる。
- 食パンにバターを塗り、3をのせ、パン粉とパプリカをふりかけ、190℃〜200℃のオーブンで5〜6分焼く。
- 4を細長く切って皿に盛り、パセリを添える。
ポイントはここ
- 食パンは、主食用の場合は1斤6〜8枚切り、オードブル用は1斤12〜16枚切りくらいがよいでしょう。
- カニは、もちろん缶詰でなくてもかまいません。ただし、細かくほぐしたほうが、切り口がきれいに仕上がります。
- 玉葱のみじん切りは、弱火でゆっくり、茶色にならないように炒めます。
- ホワイトソースは、直径15aくらいの鍋で作ります。(初年度11月第1週「ポークシチュー」参照)
鍋にバターを入れてから火にかけ、バターが半分くらい溶けたら小麦粉を一度に加え、弱火で色をつけないように炒めます。
牛乳は3〜4回に分けて加え、なめらかな状態になったらブイヨン、塩、胡椒を加えて仕上げます。(ホワイトソースがやわらかいと、パンの上にうまくのせられません。すこし硬めに)- ホワイトソースを火からおろして、卵黄を加え、手早く混ぜます。料理にコクが増します。煮え立っているホワイトソースには加えないでください。
- カニと玉葱を加えたあと、かならず味見をしてください。塩味は、ほんのわずか薄めにします。オーブンで焼きますので、すこし水分が蒸発して、味がちょっと濃くなりますから。
- 食パンにのせる量は、パンの厚さでかえます。厚い場合はすこし多め、薄いパンはうっすらとのせます。
- 上にふりかけるパン粉は軽く、パプリカはしっかりと。
パプリカをたっぷりふる 食パンの裏の焼き色
- 190℃〜200℃のオーブンで、パン粉、パプリカがすこし香ばしそうな色になり、食パンの裏側にうっすらと焼き色がついていたら、焼き上がりです。
- 主食用は細長く切ります。オードブル用は、4〜5a角に切ってみてください。
- パセリは、食パンの横に添えてもいいですし、みじん切りにしてふりかけてもよいでしょう。
ちょっと一言 ≪組み合わせメニュー≫
- 食パンの上に、カニのグラタンをのせた感じのパン料理です。
カニのかわりに、鶏胸肉や、エビの白ワイン蒸しを刻んでみてはいかがですか。- ホワイトソースをこの料理のように少量作る場合、こんな方法でもできます。
※ホワイトソースを作ろうと思う鍋にバターをとかし、玉葱がしんなりしたら小麦粉を加え、炒めます。あとはホワイトソースとおなじ。こうすると、玉葱を炒めるフライパン(または鍋)が汚れない!! くれぐれも、「少量のとき」であることをお忘れなく。
小麦粉を加える 牛乳を加える
◎鶏肉のクリーム煮
◎グリーンサラダ
◎クレープ ヨーグルト添え
【野口料理学園】
塩 ひ と つ ま み |
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■駅弁考先頃、"鉄道作家"宮脇俊三氏が亡くなった。その少し前には、「峠の釜飯」社長の高見沢忠顕氏が。二人の死にちなんで、駅弁についてふれてみたくなった。
「峠の釜飯」は、明治18年創業以来現在に至るまで、もっとも有名な駅弁のひとつである。長野新幹線開通にともなって消えゆくかにみえたが、本拠地の信越本線横川駅からとびだし、その新幹線の車内販売や高速道、一般道のドライブイン、さらには通販でも売られるようになって、相変わらず根強い人気を誇っている。
鉄道旅行の形態がかわって、のんびり駅弁を買うような時代ではないと思っていた。高速化によって、停まる駅が少ない。エアコン車両の窓は開閉できず、かといってホームに降りて買おうにも停車時間が短すぎて、下手をすると置いてきぼりを食らう。声も懐かしい駅弁売りも姿を消してしまい、販路を狭められた駅弁は、てっきり衰退方向にあるとの印象をもっていた。
どっこいそれは早合点のようだ。駅弁の人気は衰えていない。鉄道ファンがすこしも減っていないのとおなじ、駅弁ファンも相当なものだ。たしかに買える駅の数は少なくなってしまったが、弁当の種類や販売量は落ちていないらしい。息の長い定番もあれば、あたらしい食材を使って、その土地の特色をあらわした新作の弁当がつぎつぎ出て人気を得ている。
甲府駅を例にとってみる。ちょうど1年前の3月、駅弁の老舗がほぼ100年にわたる歴史を閉じた。創業は日露戦争開戦の1904年。「軍弁」で軌道にのせ、戦後は「武田陣中鍋めし」のヒット商品を生んで成長をとげた。ところが電車のスピードが上がり、乗り心地が増していくのと反比例して所要時間、停車時間が短縮され、冷暖房完備で開かずの窓となって、駅弁は食べる間も買う間もなくなって締め出されていく。
一方でコンビニの普及がある。品揃え豊富なコンビニ商品の車内持ち込みが目立ちはじめ、挟み撃ちにあった甲府の駅弁は低迷、あえなく廃業に追い込まれてしまった。が、さびしさを感じるひまもなく、翌月には、東京の会社がブランドを受け継いで販売を開始、さらに県内の別の1社が、煮貝やほうとうの郷土食を盛り込んだ新商品を開発して甲府駅に進出してくるという賑わいを見せている。
会社が消えてもブランドは残る。空いたマーケットを同業他社が争う。この二つの事実は、伝統と実績に安住した老舗の売り方に工夫が足りなかったことを示している。鉄道の変革と、それをとりまく状況を的確に捉えられなかった。列車の高速化は、時代の高速化そのものだったといえる。
車両の近代化は、換言すれば、より快適に弁当を食べられる環境になったということ。車内販売も充実したのだから、"駅の弁当"は減ったにしろ、"車内の弁当"は逆に増えたといえそうだ。凝ったネーミングや意匠も楽しさ、おいしさを盛り上げるのに一役買っている。個性的なラベルや、容器をあつめるマニアが少なからずいるほどである。これも、時流に敏感であれということを教えている。
食堂車がなくなったのも一因だろう。食堂車にいい思い出はない。高くて不味くて、おまけに居心地が悪い。昔の電車はよく揺れた。足元をふらつかせながら食堂車にたどり着いても、相席がふつうだ。料理が運ばれてくるまでの時間がやたらながい。雑誌や新聞を忘れたらコトだった。手持ちぶたさで間が持てない。来れば来たで、相手の目を意識しーしー、とくに洋食の場合、ナイフがこちらの意志に反して振動とともに皿をひいてしまい、不快音を発して困惑する。食器ごと揺れるからテーブルクロスのたわみが気になったり、所定の位置にない調味料の小ビンが行ったり来たり、コッブの水がこぼれたりで、おちおち食べてなんかいられない。付き合いではしょうがないが、一人では、食堂車に立つより空腹に耐えるほうがはるかにマシだった。食堂車の廃止は賢明だったと思う。
ところで、旅行中の車内は、弁当でもアルコールでも飲食自由である。これが、通勤通学の電車で行なわれるとしたら…。山手線でも、ホーム内のキヨスクや自販で売られているのだから、飲み食いは自由なはずである。売っておいて禁止ということはない。ただ、それはホーム内に限るとの暗黙の了解がある。電車の中では一般にはしない。混み合う車内では物理的にもむずかしい。それでも、缶ジュースや缶コーヒーを飲んでいる光景は異質でなくなった。サンドイッチや菓子類を頬張るには、空間があってもまだちょっと勇気がいる。でも単独でははばかられるのに、複数では平気なところがある。子供や学生ならその身分が免罪符になる。
なんでもありの時代だ。いまに、一人でも大人でも女性であっても(?)、弁当やおにぎりを人目を気にしないで堂々と食べられるときが来るだろう。駅弁が通勤通学電車に登場、ということになるかもしれない。そうなったら、間隔の短い各駅の"郷土色"はどうやって出すのだろう。余計な心配をしたくなる。(小笠原)
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