今 週 の レ シ ピ

・アドバンスクラス(2月第1週)のメニューより

●松前(まつまえ)漬け

松前漬け [材料]

・昆布(こんぶ)30g
・スルメ1枚
・大根干し30g
・ニンジン50g
・ゴマ大さじ2
◎漬け汁
  出し汁1/3カップ
  酢1/3カップ
  醤油(しょうゆ)1/2カップ
  みりん大さじ3
  酒大さじ3
  塩少々

[作り方]

  1. 昆布とスルメは、ハサミでできるだけ細く切る。
  2. 大根干しは、熱湯でやわらかくもどす。
  3. ニンジンは、4cm長さのせんきりにする。
  4. ゴマは炒(い)っておく。
  5. 松前昆布と1〜4をボールに入れ、漬け汁を加えてよく混ぜる。

    漬け汁をそそぐ よく混ぜる

ポイントはここ
  • 昆布は固く絞ったぬれぶきんでほこりを取る程度に拭き、ハサミで4〜5cm長さに細く切ってください。
  • スルメは硬くて切りにくいですが、水にもどすと、ぬめりがでてよけい切りにくくなります。そのままハサミで4〜5cm長さに細く切ってください。
  • 大根干しは熱湯でもどして、そのまま漬けます。一度、熱湯をかけ、湯を切り、もう一度熱湯をかけて、そのまま冷めるまでおきます。
  • 漬け汁の出し汁は、「かつおだし」を使います。もし、2週間くらい冷蔵庫に入れて少しずつ食べる場合は、水にうまみ調味料を少々加えて使います。
  • 甘口に漬けたいときは、みりんを多く、辛口は酒を多くしてください。
  • 漬けてから1時間くらいの薄味のうちは、「酒の肴」として最適です。2〜3日漬け込みますと、味がよく浸みておいしくなります。
  • 消毒した保存ビンに入れておけば、2週間くらいは持ちますが、なるべく、少量作って、あまり味が濃くならないうちに(1週間以内)食べきることをお勧めします。
ちょっと一言
  • 「松前」は昆布を使った料理に冠することばで、「松前漬け」「松前蒸し」「松前焼き」などがあります。江戸時代に、昆布が北海道の松前藩から送られてきたところから、「松前」が「昆布」の代名詞となりました。
  • 好みにより、ユズやミカンの皮のせん切りを加え、香りを楽しんでもよいでしょう。
  • 昆布のぬめりがないほうがいいならば、「すき昆布」を使ってみてはいかがでしょうか。さっぱりとした「変わり松前漬け」が楽しめます。 数の子を入れた松前漬け
  • ちょっと高級感を出したい場合は、「数の子」をもどして(「数の子の準備」参照)、一口大に切って加えてください。
【野口料理学園】
塩 ひ と つ ま み

■静と動

こういう経験はないだろうか。
美味いものを食べて歓声を上げたくなる。そしてこれとは反対に、あまりの美味さにことばを失う。私の場合大まかに、前者は洋食、後者は和食のようである。

とびっきり美味いラザーニャを口にすると、テーブルを叩いたり小躍りしたくなる。じっとなんかしていられない。一方、極上の生ユバにめぐりあうなどしたらこちらも大変、身体がとろけそうになって陶然、ただただ目をつむって黙るしかない。喜び方がちがって現れるのだ。

自分では意識しないのに、洋食(中華も)のときには感情がほとばしり、和食のときはそれが内に入り込んでしまう。だから、テレビの料理番組で、試食をするレポーターの語彙が不足だ貧弱だと指摘されることがあるが、じつは感激のあまり、絶句している可能性もあろうというものだ。

歓声をあげたい人もいれば、感情を押し殺したように押し黙る人もいる。表現のちがいはあっても、喜ぶことに変わりはない。感情の出方には、個人差があり、男女差があり、民族の差というのもある。対象が何かにもよろうし、その場の雰囲気(環境)によってもちがう。おなじ人間でも、喜びが内向するときがあれば、反対に外に向かう場合もあって、法則などはない。感情とはそういうものだ。

なぜ和食では黙るのか。
和食は「水の料理」、洋食(中華)は「油の料理」であると言われる。であれば、水を主にした淡白な和食は、味を楽しむだけですむが、油をつかった洋食は当然のごとくカロリーが高い。摂取するほどにどうしたってエネルギーが堆積して発散したくなる。おとなしく食べてなどいられない。黙って食べろ、というほうが土台無理な注文である。

また、ナイフ・フォークと食器がかち合う音は、箸(はし)と漆器のそれの数倍して大きい。金属音で不快でもある。それをにぎやかさで打ち消すという裏ワザ的効果も見逃せない(?)。他にもある。和食は洋食とくらべておかずが豊富だ。器の数も種類も多い。したがい、あれを取り、これを置きしてけっこう忙しい。魚の身を剥がしたり小骨をとるにも集中力がいる。しぜん、口数は少なくなる(?)。

とまあ、後半部分は蛇足として、和食が沈黙を強いるのは、やはり仏教の影響があるだろう。「食欲」もれっきとした煩悩のひとつゆえ、「もっと食べたい」「美味いものがほしい」は極力つつしまなければならない。与えられたものは、静かに襟を正して有り難く頂戴するのをよしとする。

今日では、日常的に世界中の料理が食べられる。和食・洋食、水だ油だといった区別は意味をなさない。好きか嫌いか、美味いかそうでないかで決めればよい。まして、にぎやかに食べようがおとなしく食べようが、それがどうした、大きなお世話なのである。

そうした風潮にあってなお、土瓶蒸しをすするときは、目をとじて無言のなかでこそ秋の余韻が味わえるし、レンガみたいな骨付きの牛肉と上等な赤ワインにありつけると、声に出し体中で喜びをあらわさずにはいられない。「静」と「動」、表現方法はちがっても、根底にあるのはそれぞれ「感謝」と「賛辞」。それ以外、何もありはしないのだ。(お)


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