今 週 の レ シ ピ

・ベーシッククラス(5月第4週)のメニューより

●寄せ玉子の清汁(すましじる)    60kcal. 塩分1.1g

寄せ玉子の清汁の写真 [材料]  -6人分-

◎寄せ玉子
  卵3個
  (塩少々)
  熱湯5〜6カップ
  (塩大さじ1)
◎清汁(すましじる)
  一番出汁(いちばんだし)5カップ
   (「鶏ささみの清汁」=初年度9月第1週参照)
  塩小さじ1
  酒大さじ1
  醤油小さじ2
・三つ葉6本

[作り方]

  1. 卵を割りほぐし、塩少々を加える。
  2. 熱湯に塩大さじ1を加え、その中に1の卵を流し入れ、火が通ったら布巾にあけ、水気をしぼる。すだれで巻いて形をととのえ、冷めたら1a厚さの輪切りにする。
  3. 一番出汁に調味し、清汁を作り、その中で三つ葉をサッと茹でて結ぶ。
  4. 吸い物椀に寄せ玉子を二切れと、「結び三つ葉」を盛り、清汁を注ぎ入れる。

ポイントはここ


ちょっと一言

  • 割りほぐした卵液の中に、カニの身をほぐしたものや、こまかく切った木の芽、しその葉(冷水に入れてアクをとってください)を加えて、寄せ玉子を作りますと、切り口に赤や緑がとび、見た目と同時に味や香りもよいものとなります。

≪組み合わせメニュー≫
    ◎魚の塩焼き
    ◎南瓜(かぼちゃ)の煮物
    ◎いんげんの胡麻和え
【野口料理学園】
塩 ひ と つ ま み

■スローフード (6)
  • 休みのたびに、工員仲間の誰かの家に呼ばれた。それがないと、居候先の若夫婦の知人や親戚のあいさつ回りにお供した。ラテン民族に言えることだが、イタリア人も親族間の結びつきがきわめて強い。どこの家庭にいっても、かならずといっていいほど親類が訪問していたり、あとから合流したり、わざわざ呼び出したりする。集まりの中心になるのは例外なく「食」である。この地方の郷土食は「ポレンタ」。とうもろこしの粉に水やスープを混ぜて焼いたものだが、見た感じは豆腐だ。ずっと硬く、味も素朴、甘いタレをかけたりする。よその地方から「ポレンターノ」(ポレンタ人)と呼ばれるほど、ここの人はよく食べる。郷土食の愛着は、郷土意識へ直結している。出身地の風土にたいするこだわりは、日本同様すこぶる強烈である。方言はその集約といえる。そうでなくても理解に苦しんでいるのに、彼ら同士の会話はその土地の言葉だから余計に分からない。
  • それにしても、われながらよく食べる。日本ならまぎれもなく大食漢である。こんなはずではなかった。食ははるかに細いほうだったのに、どうしたわけだろう。初っ端(しょっぱな)の打ち続く下痢で鍛えられたか、よほどイタリア料理が体に合うのか。どちらも肯定したうえで、主因はその「食べ方」にあると推察する。
    「食べる」と同時に、よく「しゃべる」のだ。寡黙とはいわないが、口数は少ない部類に入る。できれば、話さないでいるほうが楽だ。ところがここでは、「沈黙」は「悪」。というより、黙らせてくれない。異邦人だが、異星人に接するごとくたくさん質問をぶつけてくる。答えないわけにはいかない。議論もふっかけられる。政治と宗教の話題は避けろといわれるが、逃げようがない。連中にしたら、いちばんの関心事なのだから。
    説明したいのと乏しい語学力が、もどかしさやあがき(ストレス)となって食べることに向かわしめる。それもあるだろう。が、やはり楽しいのだ、愉快なのだ、面白いのだ。大声でしゃべり、笑い弾け、ともに唄い、ときに席を立って踊りだす。これで腹がへらないわけがない。ぜーんぶが相乗して座が盛り上がっていく。結果、ゆったり・たっぷりと食事の時が刻まれていくのである。
  • そんなこんなで、4ヶ月があっという間だった。食住費はかからない。冬だったにもかかわらず、若夫婦の親戚からセーター、防寒着の提供をうけて衣のほうもゼロ。これではバイト料は貯まるしかない(?)そこから、"異変"がおきてしまった。「野垂れ死にも可なり」の悲壮な覚悟に、亀裂が生じたのである。片道切符で、ふた月ともたない所持金から、「どこでどう果てようがいたしかたない」とした不退転の決意が、揺らぎだしたのだ。帰ろうと思えば帰れるゾ、と。一旦「帰心」に傾いた気持ちの流れは、変えることも押しとどめることもできなくなった。逆流をはじめたのだ。永久凍土と思われていたのが、融けだしたようなものである。
  • こうして、わが放浪の旅は1年で終結をみた。イタリアでの生活はなんだったのか。総括してみるに、家族と食の大切さ、ありがたさに尽きよう。一日の始まりと終わり、一生の誕生と終焉、日常の休息・活力・慰安・娯楽・安寧・平和…家庭はこれらを内包する。団欒の中心が食卓であることは論を待たない。食の楽しさが、家族・親族のきずなを固くむすんでいる。当時、「スローフード」のことばこそなかったが、形は現として存在していた。スローだからと、おとなしくゆっくり食べるのではない。楽しく、でなければならない。食べるだけでは片手落ち。作る、もその中に入ってこそ完結する。
    そうしたことが自分で感得できたころに帰国可能が重なった。タイミングがよすぎた。が、どう言いつくろうと、畢竟、ホームシック以外のなにものでもない。若かりし頃、それをおおっぴらに言えなかっただけの話である…。(小笠原) (おわり)

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