今週のレシピ

・ブライダルクラス(10月第4週)のメニューより

● おでん  ●   106kcal. 塩分 2.4g (煮汁を含む)

おでんの写真 [材料]  -6人分-

・こんにゃく1丁
・大根長さ10a位
・昆布60a位
・さつま揚げ3枚
・竹輪(ちくわ)1本
◎煮汁
  出汁(だし)
    水3カップ
    煮干し7〜8本
  醤油大さじ3
  塩小さじ1/2
  みりん大さじ2
  砂糖小さじ1

  [作り方]

  1. こんにゃく…茹でて、12切れに切る。
    大根…1.5a厚さ位に切り、皮をむき、面取りし、裏側から隠し包丁を入れ、米のとぎ汁で茹で、荒熱がとれたらきれいに洗う。
    昆布…水につけてもどし、6個の結び目をつくり、切り分ける。
    さつま揚げ…2つに切り、熱湯をかけて油抜きをする。
    竹輪…斜めに6等分する。
  2. 出汁(だし)の中に調味料を入れ、用意したこんにゃく、大根、昆布を入れて煮込む。
  3. こんにゃくに味がしみ、大根、昆布が柔らかくなったところでさつま揚げ、竹輪を加えて、さらに煮込む。
  4. アツアツのところを、練り辛子を添えてすすめる。

ポイントはここ


ちょっと一言

  • 水でもどして結んだ昆布は、なかなか思うように柔らかくならないので、おでんは本当に時間をかけてつくっていました。でも、東北の親戚からもらった「塩蔵こんぶ」(三陸の名産品)は、短時間でおいしく柔らかく煮え、今ではおでんの具の中で、私は昆布がいちばん好きになりました。
    みなさんもどこかでこの「塩蔵こんぶ」に出会ったらぜひ一度お試しください。
  • おでんを煮ている鍋がすっぽり入るような発泡スチロールの箱がない場合は、大きなタオルを鍋にかけ、風呂敷でしっかり包み、その上から毛布をかけたら…とテレビで放送していました。これも、試してみてはいかがですか。

≪組み合わせメニュー≫

    ◎ほうれん草の胡麻(ごま)和(あ)え
    ◎小鯵(こあじ)の南蛮漬け

【野口料理学園】


塩ひとつまみ

■味わう人生 (その2) ―料理教室発展への道―

 ・魅せられたゴフレ

昭和二十九年一月三十日に亡くなられた日本女子大の恩師淀野先生の法要が鎌倉の寺で行われました。先生の精華寮の寮生であった先輩加藤照子先生が、その頃目黒の白金で料理塾を経営しておられ、法事のお料理は先生の手作りでした。ほとんど東京、鎌倉の方々で、甲府から出掛けて行った私は遠方から参加した一人でした。
その時の精進料理の味の良さは忘れられませんが、中でも一番私の魅せられたのがゴフレでした。馬鈴薯をうすい網の目に切ってバリッと揚げた一種のチップポテトですが、その美しさ、味、歯ざわり、今でも脳裏に焼きついております。思わずこの作り方を知りたいとお尋ねしてしまいました。
フランス製のポテト切りで切り、水によく晒して油で揚げ、塩をふるだけのものとのこと。五、六枚を御願いして頂いて帰り主人に見せました。料理に興味深い主人も感動し、その機械を購入しようという事になりました。その後すぐに私は白金塾の生徒となり、その頃甲府から列車で四時間かかりましたが、朝五時自転車で甲府駅まで、そして往復八時間をついやして毎週一回通って、加藤先生に日本料理を、当時白金塾の講師で来ていらした田中玄四郎先生にフランス料理を習いました。幼い二児を親にあずけての修行、無駄にしてはと懸命でした。田中先生の御力でゴフレ切りも入手出来、我が家の自慢料理となりました。ビールの友には最適と、主人の友人やスナック経営者の方々に喜ばれ、その製造に忙しい程でした。加藤先生が朝日新聞の講師として甲府に見えられ、私が助手をさせて頂き、上京の度に料理の本当のこつを教えて頂くなどしている頃、私も本格的に料理教室を経営して見ようと思うようになりました。
加藤先生ももうとうに他界されましたが、先生の主婦の友社から出版された当時の料理の本は私の机の上に今でも置いてあり、表紙がボロボロになって修理する程使いました。どんな立派な本より私にとって大切な宝となっています。
それから何年かして初めてヨーロッパ旅行をし、パリでゴフレポテトが目にとまり、味わった時は本当にうれしく思いました。
今では学園の教材となっており、器具もフランス製の新しいスタイルのものが手に入るようになりました。教える度に、私の魅せられたゴフレは、加藤先生への感謝の気持ちと共に当時を思い浮かべる事の出来る味わいです。

≪野口富子『味わう人生』(昭和62年上梓)≫より

【私からのコメント】

母が料理を学ぶための上京と、私の幼稚園通いは、一緒のころ始まったように思います。幼稚園から帰っても、母がいないのがチョッピリさびしかったのを憶えています。
勉強してきた料理については、母がいろいろ話してくれましたが、ほとんど記憶にありません。でも「ゴフレ」は、ものごごろが付いた私に、唯一印象的だったものです。
母が買ってきた「ゴフレ」の道具の前には、いつも父がいました。自分で形のよい良質のじゃがいもを買ってきて、ていねいに、そして力強くゴフレポテトを切っていました。揚げる時も、それは慎重で、均一の色に仕上がった父の「ゴフレ」は、芸術品のようでした。
新しい道具で私も作りますが、まだまだ父の作品にはとても及びません。がんばって作ってはみるのですが…

新旧の道具 水にさらす “私”のゴフレ


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