今 週 の レ シ ピ |
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・アドバンスクラス(7月第4週)のメニューより●豚バラ肉の香り焼き 289kcal. 塩分1.5g(タレごと全部食べた場合)
[材料] -6人分-
・豚バラ肉 300g ◎A 塩 小さじ1/2 胡椒(こしょう) 少々 ◎B 日本葱(にほんねぎ) 10cm位 生姜(しょうが) 1かけ ニンニク 1かけ ◎C 醤油(しょうゆ) 大さじ4 砂糖 大さじ1/2 みりん 大さじ1 ・焼き用油 大さじ3 ≪飾り用≫ 日本葱 1本 パセリ 少々
[作り方]
- 豚肉は塊(かたまり)のまま、熱湯で10〜15分位ゆで、取り出す。
- Aをすりこむように全体にまぶし、15分位おく。
- Bをみじん切りにし、Cを合わせた中に加える。
- 2を5mm位の厚さに切り、3に漬け込み、15分位おく。
- 中華鍋に焼き用油を熱し、タレをよく落とした肉の両面を、焼き色がつくように焼く。
- 皿のまわりに肉を盛り、残りの漬け汁をかけ、中央に日本葱とパセリを飾る。
ポイントはここ
- 豚バラ肉は4〜5cm幅で、300g用意してください。4cm位なら10分、5cm位なら15分ゆでた後、10分位その中に漬けておきます。
- 少しだけ熱が抜けますので、塩・胡椒は手ですりこむようにまぶしてください。
10分ゆでる 塩・胡椒をまぶす 5mm厚さに切る
- 平らな浅い器に、B、Cを合わせてタレを作ります。その中に、5mm位の厚さに切った肉を、重ならないように漬け込みます。一度かえして、味がまんべんなくつくようにします。
- 肉のまわりに付いた葱、生姜、ニンニクは、こげやすいのでよく取り除きます。
- ゆでることで、ほとんど火が通っています。香ばしい焼き色がつく程度に、焼いてください。
タレに漬けて一度かえす 中華鍋で焼く
- 残っている漬け汁は、捨てないで、肉のタレとして使います。
- 飾り用の葱は、長さ5cm位に切り、長さの半分に包丁目を入れ、冷たい水に入れ、切れ目を充分広げます。食紅をとかした赤い液に、切った葱の半量をつけて薄く染めます。
切れ目を入れる 冷水に漬ける 食紅で染める
ちょっと一言 ≪組み合わせメニュー≫
- 香ばしく焼いた豚バラ肉は、ほかにもいろいろな料理に使えます。
◎冷やし中華そば、五目冷やし中華そば
◎拌蘿蔔糸(中国風大根サラダ)の具
◎こまかく切ってチャーハンの具
- また、5mm厚さに切ったとき、形がくずれたものは焼かずに、そのままゴーヤチャンプルーの具にしてみてください。その場合、ゆで汁も出汁(だし)として使えます。
冷やし中華そば ゴーヤチャンプルー
- 飾り用に切った葱は、皿に飾るだけではなく、濃厚な豚バラ肉で脂っぽくなった口の中をさっぱりさせてくれる役割も持っています。大きいままの葱ではちょっと食べにくい人は、せん切りにしてさらした「白髪葱(しらがねぎ)」をたっぷり作って添えてみてください。
◎春雨とモヤシの和え物
◎イカと野菜の炒め物
◎キュウリと筍(たけのこ)のスープ
【野口料理学園】
塩 ひ と つ ま み |
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■飯のタネ生来の山好きが嵩じて、ひと頃、「山篭(やまごも)り」にあこがれたことがあった。人付き合いが苦手な性質(たち)で、できるなら、人里はなれた山奥でひっそりと暮らしたい。本気でそう思った。何十日間、人と話さずとも苦にならない。木を切って、雨露しのぐ草屋はなんとか作れる。ローソク生活も縦走のテント泊で慣れている。暗闇も怖くない。髪も髭も、伸ばしたままで平気である。10日に一遍くらいは、谷川の水で体をふいて風呂代わりにすればいい。
どうやら「衣住」は、誰にも迷惑をかけずに済みそうだ。問題は「食」である。はたして「完全自給」ができるかどうか。必然的に「採取・狩猟」が中心になる。野草、果樹、山菜のほか、川魚、鳥、ウサギなどの小動物もいれて、かなりバラエティーなメニューになりそうではある。場所の選定さえ誤らなければ。
主食(米)をどうするかが悩むところだ。いちいち買ったんでは、「山篭り」の意味がない。生産するとして、水田はたいへんだから、「陸稲(おかぼ)」にするか。これだって自家消費とはいえ、食べるまでにするには、それなりの技術と時間、労力が要りそうだ。だったら、米は外すか。大昔、日本人は米を知らなかったのだ。この辺から「構想」が揺らいでくる(?)
食料の自給を考えると、標高の高いところは避けたい。雪が積もってもまずい。できれば温暖なところがいい。万一を考えて、人里に近いほうがなにかと便利だ。となれば、そこは熊、鹿、猿、猪などの生活圏でもある。近年、連中は食料が不足して頻繁に人里に出没している。そんなところでなにかを作っても、彼らのエサになるのが関の山だ。
と、標高も志もしだいに下がってくる。結局は登山口まで後戻りし、「下手な考え、休むに似たり」で、「山篭り」は夢想に終わる。期間限定なら、不便で窮屈な暮らしもたのしむ余裕があろうというもの。無制限となれば話は違ってくる。
そこで、下りたついでにもうひとつのルートの入口に立って考える。「期間限定」と「食」を勘案して、山小屋の番人というのはどうだろう。シーズンを登山客の世話をし、オフは、しずかな自然の中でのんびり晴耕雨読ですごす。食料は、シーズンのときの蓄えで充分しのげる。
これなら実現性は高そうである。しかし、すでに陥穽にはまっている。山小屋の番人というのは、客をもてなすサービス業である。人との接触や、付き合いが嫌で山に篭るのではなかったか。好きな山で、嫌いな仕事をするこのパラドックス。苦痛以外のなにものでもないだろう。というわけで、この妙案もボツになる。
古来より、日本人は隠遁生活への志向がつよいようである。人目のつかない隔絶した環境で、世の中の流れと無関係に生活する。集団であれば可能だ。食料だって、何人かがあつまって結束すれば、採取でも栽培でも容易になる。平家の落人部落などの存在がそれを証明している。
個人レベルでは至難である。どこかで社会と接点をもっていないと、”弧絶”してはなかなか生きられない。そこで、世の中とつかず離れず微妙な距離をたもって生きる「境界人」がでてくる。アウトローである。完全にドロップアップするわけではない。世間に背を向けながら、つねにその背中がみえる距離にいるのである。
「山篭り」にあこがれた時期と重なるが、山頭火、方哉、方代など漂泊する俳人や歌人に興味をもった。たとえば種田山頭火。世のしがらみを捨て、酒と俳句と旅を愛し、自由気ままに全国各地を行脚した。野宿や安宿を意に介せず、好きなところに好きなときに好きなようにおもむく。なんとも人間くさく、理想的な生き方のように思われた。
山頭火の場合、乞食(こつじき)僧のなりで托鉢はしているが、収入はタカが知れている。見入りはそれだけでない。「分け入っても分け入っても青い山」など旅の途上でつくる自由律俳句は、俳誌に載ったり、句集が出されたりして結構その世界では有名だった。全国に俳友がいる。そこを訪れては、しばしば饗応をうけている。食客として長逗留もする。年がら年中、明日へも知れぬ極貧旅行ではなかったのである。
ひるがえって、文才も盛名もない、いわば現実を離れたら飯のタネをもたないわが身をかえりみれば、方法は二つしかない。今のように、時間をやりくりして山へでかけてはいっときの「山篭り」にひたるか、さもなければ山へは行かないで「山篭り」の手段を案出する。
「孤独」でいられるということでいえば、大都会でもどこへでもエスケープすればその日ぐらしの延長でなんとか暮らせよう。埋没することで身も隠せる。しかし、山以外のフィールドでの「山篭り」は、たんなる「自分篭り」。山にどっぷりつかってこそ「山篭り」である。
こうなると、結論はやはり、現状がよろしいというところに落ち着くほかはない。人間も生き物である以上、食い扶持はついてまわる。そして、ひとりでは生きられない社会的動物でもあるというまことに当たり前な話になるのである。(お)
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